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オリンピック物語・水野智佳子編その1
2013/06/20

「2020年オリンピック・パラリンピックを東京で」
と期待のふくらむところですね。

そこで「オリンピック」にまつわる話題はないかと企画しました。

神保町にてオリンピック経験者を探しました。今回は2度のオリンピック経験をお持ちの水野智佳子さんをインタビューさせていただいたものを報告します。

水野智佳子さん、旧姓は中森智佳子さんは、ロスアンゼルス、ソウルと2度のオリンピックを競泳(女子自由形)として参戦した経験をお持ちです。


―どんなきっかけで水泳を始めたんですか?

水野さん(以下敬称略):10歳から始めた水泳です。試合にでるようになって、成績も納めるようになって、6年からは全国大会に個人種目で出場するようになったんです。中学進学のときに、競泳の強豪の愛知淑徳中学からスカウトが来てくれて、初めは全く行く気がなかったんです。でも、「進学します」と言わないと関係者が帰らない雰囲気のなか、進学したんですね。本当はバスケットがしたかったんです(笑)
中3のころから世界大会へと出場するようになったんです。

―オリンピックの選手に選ばれるというのは相当難しいではないですか?

水野:今は標準記録とうのがあって、それをクリアしないとオリンピックに出られません。当時はそんなものが無かったです。私、オリンピックというか、国際大会に出場したいと強く思ってたんですね。オリンピックが特別ってわけではなかったんです。また、自由形っていう種目は、リレー(100M×4人)があるので、全国で4番以内にいると、自然とオリンピック選手として選考してもらえたんです。種目にも恵まれたと思っています。リレー選手でも、どうせ行くなら個人種目も泳いでみたらって言われて出場するような、ゆるい雰囲気でした。

―練習は相当厳しかったのではないですか?

水野:高地トレーニングを試し始めたころで、私たちはモルモット的に実験させられました。効果もよくわからないまま、メキシコに強化合宿を組まれて行っていました。そりゃ、酸素が薄い中で練習するのはつらかったですよ。でも私には合っていたようです。記録は伸びましたよ。

―ロスアンゼルスオリンピックの思い出を聞かせてもらえますか?

水野:記録的には競泳陣は何も残せていないです。ロス五輪は、モスクワ五輪の次の大会でした。モスクワ五輪には、日本は参加していませんでしたので、8年ぶりのオリンピックになるわけです。8年ぶりということは、チームの中には、選手はもちろんコーチの中にもオリンピック経験のある人がほとんどいない状態です。みんなが初参加のオリンピックみたいな状態なんですね。開会式があるんですが、開会式の参加は選手の判断で参列できるんですね。コーチから「開会式に出たいヤツいるか?」って聞かれたときに、一人の選手が、「一生に一回のことだから、私は出席します!」って言っていたので、思わず私も参加を希望したんです。テレビでもわかると思うんですが、開会式って時間長いですよね。選手たちは、スタンバイで午後から準備しているわけです。入場行進でスタジアムに入るまでは、入場控えで待っているのでスタジアムの様子はわからないです。入場行進は華やかで楽しかったですが、一瞬です。その後、すぐに宿舎に帰れるわけもなく、延々と待たされるのです。終わった後も、スタジアムからバスに乗ってからもひたすら出口の順番を待っています。宿舎に帰ったのは午前様でした。競泳の試合が翌日朝からあるのに、寝不足のまま、万全とは到底言えない状態で試合に臨むという失敗をしてしまいました。もし周りに前回オリンピック経験者がいれば、「開会式は翌日の試合がある人は不参加ね」とアドバイスをもらえたでしょうし、実際2回目のオリンピックの時は、開会式には出ませんでした。これは大きな失敗でしたね(笑) つづく


 取材/文責:西三・大西

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