小学校の歴史 <疎開 西神田小学校>

 統廃合により、昔の資料が整理されていない状態になっている所から、
西神田小学校90周年記念誌を見つけました。
それには、どこに何名の児童が疎開したという細かい事が書かれていました。
この90周年記念誌は、西神田小学校が廃校になる年に発行され、当時の在校生、PTA関係その他、
地域の関係者の方々に配られた物で、あまり一般に出回っている物ではないと思われますので、
そこからピックアップして皆様にお知らせしたいと思います。
昭和19年3月 縁故疎開が始まる
昭和19年5月 戦時疎開学園が作られる
       花小金井農園内 児童25名収容
昭和19年6月 集団疎開が始まる
  富徳寺 手子林村(*1) 昭和19年8月26日~昭和20年11月17日 
      初等科3年 男児41名
      寮長 萩山薫次 訓導(*2) 
       後に小倉良介 訓導と交代
  
  建福寺 羽生町  昭和19年8月26日~昭和21年3月初旬 
      初等科4年 男児35名
      寮長 湯原要太郎 訓導
  正覚院 羽生町  昭和19年8月26日~昭和21年3月8日
      初等科4年 女児58名
      寮長 志村みさを 訓導
  源長寺 井泉村  昭和19年8月26日~昭和21年3月5日
      初等科5年 男児49名
      寮長 佐藤正三 訓導
  長善寺 井泉村  昭和19年8月26日~昭和21年3月5日
      初等科5年 女児35名
      寮長 新 尚 訓導
  祥雲寺 新郷村  昭和19年12月2日~昭和21年3月5日
      初等科6年 男児47名  初等科1,2年 女児5名
                                      後に初等科1,2年 女児20名
      寮長 小笠原富美子 訓導
  福生院 手子林村 (*3)
      初等科3年女児54名
      寮長 青山秀男 訓導
          小田島チュウ 訓導
  正福寺 羽生町
      初等科4年 男児38名
      寮長 湯原要太郎 訓導
  總願寺 不動岡町
       初等科6年男女児 80名
       寮長 小倉良介 訓導
   
(*1) 以下ここに書かれているお寺の所在地はすべて現在の羽生市
(*2) 訓導  旧制小学校の正規の教員の呼び名、現在の教諭に当たる
(*3) これより下の三寺は「千代田区教育百年史」より転載
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     祥雲寺にある、疎開の記念碑
        
神西町会 庄司